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「手紙屋-蛍雪編」を不甲斐ない日々に読んで涙が出た

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こんにちは、DACです。

近況

ご無沙汰しています…の方がしっくり来ますでしょうか?20日ぶりです。ブログの場合、1日2日休んだところでどうってことはないですが、これが一週間、二週間と過ぎ、月、四半期、年と言う期間になると本人もそうですが、普段読んでくださる人も「ひょっとしてこのブログ終わっちゃっているんじゃないの?」「いやいや、ブログどころかこの人生きてるの?」くらいになります。次第に存在感も無くなって遂には忘れられていったりします。

色々と疲れてしまいましたし色々とヘタレていますが、生きています。これから紹介にかこつけてとても恥ずかしいことを書きますが、まあ笑って下さい。

「手紙屋」のご紹介

今日は、「手紙屋」という本の紹介を書きます。250ページほどの本でまだ140ページほど読み進めた中途半端な状態なのですが、どうしても書きたくなりました。我慢しているより、思い立ったその時の心の動きをを大事にしたいと思ったのです。

「手紙屋」の状況設定

「手紙屋」は手紙のやりとりをお仕事にしている人です。正体は不明。主人公は別にいます。和花さんという高校二年生の女の子です。他にも和花さんの家族が登場しますが、この本は「手紙屋」氏と和花さんの手紙のやりとりで構成されています。彼女は今二つの悩みを抱えています。

和花さんの悩み

一つは、高校生になって部活やバンドなどを始めた物の両親がアルバイトを許してくれないのです。正確には「何故アルバイトをしてはいけないといっているのかをわからない限りアルバイトをしてはいけない」という条件付きです。この条件は見た感じ矛盾しています。ですので和花さんは正解を答えられず、彼女の思うところの「普通の女子高生生活」を送れずとても不満に思っています。

もう一つは、ここから先の将来です。大学に進むか?就職するか?これといって大学でやりたいことは無い。就職したら親に経済的な依存はせずに今より自由になれる。でも、大学生の方が4年間自由な時間が与えられ、卒業後も高卒より選択肢も多い。…とはいえ、勉強はとにかく面白くない。面白くないからはかどるわけも無く成績は右肩下がり、大学なんか望むべくもないというくらいになっています。

「手紙屋」氏との出会い

アルバイトの許可を貰おうと両親に交渉する中で和花さんはキレてしまいます。「そんなに縛られるくらいなら大学に行かず就職する!」単に癇癪を起こしただけということは和花さんも自覚しています。でも、改めて自分がこの先どうすればいいのか分らなくなってしまいます。そんなとき、年の離れた兄から「手紙屋」を紹介して貰うことになります。

「手紙屋」氏が伝えることは人の幸せな生き方

まあ、経緯はあくまで設定に過ぎず枝葉末節です。

大事なのは寄る辺なく悩んでいた和花さんが「手紙屋」氏とのやりとりの中で何を知り、何に気付いたか?「手紙屋」氏はどういう意図を持って語りかけたのか?ひいては、作者はこの二人の会話で読者である私に何を語りかけ、何を教えてくれるのか?

受験生の悩みと聞くと途端に大人は興味を無くしそうですよね。もう仕事をして生きている自分に、アルバイトがどうの、大学進学がどうのと言われても…と思うかもしれません。確かに私もそう思いながら読み始めたのですが、それは考え違いでした。

「手紙屋」氏が伝えることは人の幸せな生き方、迷ったときの考え方、姿勢のあり方を示すものでした。

心に響いた「手紙屋」氏の言葉

まだ読みかけということもありますし、上手く翻案で書き切る自信も無いので自分が「これは!」と心に響いた部分を引用し所感を書いていきます。

勉強は道具に過ぎないが、その目的は人が作る

ナイフやコンピュータは便利な道具です。これらがあれば無いときに比べて出来ることがとても沢山増えます。なんらかの不便を解消し、より便利に生活を変えることが出来る可能性を持つものです。ただし、それも使い方次第。ナイフでもコンピュータでも間違った使い方をすれば、人を傷つけるものになることがあります。世の中には万能の道具などと言う物があるわけでは無く、使う側がどう使うか次第なのです。

勉強もまた道具に過ぎない。従ってどう使うか次第。便利なだけでは無く人を傷つける使い方も出来てしまう。あまりその危険性は指摘されないし、考えられないけれど確かに勉強もまた道具の性質を確かに持っている。

「手紙屋」氏は書きます。


勉強は「やらないよりは、やったほうがいい」というものではないことがわかってもらえましたか?

考えるべきは、「何の目的のために、それを使おうとしているのか」なのです。

自分の存在理由はどこかに落ちているものではない

よく自分探しという言葉があります。「何物でも無い自分が生きる場所はどこだろう?どこかに自分が求められるピッタリくる場所があるはずだ」と自分の生きている意味や存在理由を探し求めるのです。若い人は勿論のこと、いい歳をした私などでもこの「自分は何のために生きているんだろう?」「自分が存在している意味は何かあるんだろう?」と漠然とした不安に苛まれることがあります。

この悩みには実は都合の良い答えというのはどこにも転がっていません。生まれながらの役割を課されている家系に生まれたなら、与えられたものを全うするという選択肢もあります。でも、多くの人にとって外から与えられる存在理由などと言う物はありません。生まれながらは勿論のこと、世界中を探し回ったところでどこにもありません。せいぜい、あなたを騙して上手く使ってやろうというたちの悪い人達が「ここにあるよ」と誘い水に使う程度でしょう。

「手紙屋」氏は書きます。


いいですか。自分が生きる意味は、自分でつくっていけるものです。生まれながらに与えられている生きる意味を探そうと思っても答えは見つかりません。待っていると自然に見つかるようなものでもありません。

私たち人間は、一人ひとりがかけがえのない尊い存在だといわれます。それは、自分を磨くことによって、どんなに大きな意味をも自分の人生に与えることが出来るという、希望のかたまりであるということです。

たった一つでもいい。どんな小さなことでもいい。自分が生きる意味を手に入れれば、あなたの人生は今まで以上に光り輝くものに見えてくるはずです。

わかったこと

不覚ながら、涙が出ました。本来私は「手紙屋」氏のように道に迷うような人に声をかけることが出来ることが期待されるような、不惑を過ぎて知名に近い歳です。

しかし、私は日々の仕事にも生活にも自分なりの生きる意味を作り上げて来なかった人間です。子どものように日々の不満で愚痴を垂れ、文句を言い、ただ自分の可処分時間を会社に与えることで賃金に変えてきました。こうやって時間を売り渡し、与えられた範囲の業務、言ってしまえば出力作業を仕事と言い換えて長く過ごしてきました。それで良しとしてきました。

当然自分がやっていることに自信など持てるわけはありません。寝て起きて仕方なく仕事を繰り返して生きる意味、光り輝く物が見つけられるなどあるわけがないのです。いつもどんよりとねずみ色で「いつ終わることが出来るのだろうか」「このままやりすごすことができるのだろうか」などとあてどなく、不安とともに生き続けています。

昭和の復興期からの上向き一辺倒の社会情勢ならいざ知らず、会社はあてになりません。終身雇用なんて過去の言葉です。そもそも物がろくに売れず赤字が続くようでは来年、再来年に会社そのものが存在しないかもしれません。若い人でも望む仕事に就けず、就けても企業に搾取されて亡くなることも珍しくありません。ろくな実績も自信も身につけず歳だけを取った訳です。ですから自業自得ではありますが、自分と家族の今とこの先を考えると身も世も無く叫び出したくなります。

ですが、だからといってそこで留まっていても何も先は無いのです。不安に囚われている状態、悩んでいるだけの状態というのは結局何もしていないのと同じです。ネガティブな事を考えている時間があると言うことは結局はヒマということなのです。

結局のところ、自分がどうなりたいかを考え、それを実現するために実際に行動する。それしか無いし、それに専心するしか道などありません。考えているふりなどするのではなく、今持っている時間の中で自分なりのより良い選択、行動をしようと思います。時間は思考と実行のために使う。真剣にやってそれでも駄目なら本当に無理なことだし、やってもいないことで暇つぶしで悩んでも自分が疲れるだけだもの。

ほんといい歳して馬鹿ですね。

元ネタ

手紙屋 蛍雪篇〜私の受験勉強を変えた十通の手紙〜

手紙屋 蛍雪篇〜私の受験勉強を変えた十通の手紙〜