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現実を直視する余力が無い人に安易にネト充なんてススメちゃいけないよ

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こんにちは、DACです。

今日はネットでの人間関係について考えたことを書いてみます。結論から書くと、ネット経由だから既存のオフラインと違う関係を築くことが出来る可能性はあります。でも、それが無条件に前向きで素敵なものになるという保証はありません。どんな相手と出会うかというのはオフラインにおける出会いとそう変わる物では無く、運次第です。そこに過大な期待を持ち込むのはあまり分の良い賭けではないでしょう。

「ネット大好きで無条件に肯定したい人」からするとかなりネガティブな考え方かもしれませんね。でも、自分は繋がり方、手順の違いでしか無いからネットだろうとオフラインだろうと特別視する必要が無いという考えです。殊更ネットが駄目と言っている訳ではありません。出来れば、読み進めて頂けると嬉しいです。

「ネト充のススメ」というアニメを見ながら思うこと

今期2017年の10月から12月の期間に「ネト充のススメ」というアニメが放映されています。黒耀燐氏原作の同名漫画をアニメ化したものです。

TVアニメ「ネト充のススメ」プロモーション映像

概要

概要は「主人公である盛岡森子は、会社生活に疲れ辞職、無職生活を送っている。そんな盛岡森子が考えたのは、「2.5次元の充実生活」すなわち現実世界では無職でコンビニに行くのも躊躇する引きこもりニートが、ネットゲームでカッコイイキャラクターを演じて充実した生活を送ることである。ネット内の話と現実世界の話がパラレルに描かれ、少しずつネットゲームのキャラと現実世界の人間との関係が入り組んでいく。」(ネト充のススメ - Wikipedia)というものです。

オフラインを浸食する現実

自分はMMOなどネットゲームは殆どしません。ですが、ゲームにおけるアバターとはある種SNSその他のネット上のアカウントや表示名と置き換えて見ていると「なるほどなあ」「そういう捉え方をすることもあるよなあ」となる展開がこのアニメの随所にあります。

主人公盛岡にせよ、その相方である桜井にせよ、現実の繋がりや普段の自分という存在から遠ざかろうとしてゲームを始めます。そして、ゲーム上でアバター同士で出会い、お互いの人となりを知り距離が近づいていきます。元々はゲームの中でのアバター同士、ゲームの枠の中のつきあいです。でも、仲が良くなればオフラインにいる本人の喜怒哀楽に繋がります。更にオフラインの悩みを相談するというゲームの外にある現実がゲームの中への浸食を起こすようになります。

現実との繋がりに躊躇する人達

このアニメの現状進捗の中では盛岡や桜井、そのゲーム仲間達はお互いの顔を知りませんし、オフで会うような動きは見せません。むしろ、そういうことを話題にすら挙げないくらいにゲームの中で閉じています。せいぜい学生であるとか通勤時間が長い勤め人であるとかふんわりしたオフライン像は自己申告していますが裏付けはありません。

盛岡は現実はストレスで会社を辞めた無職三十代女性ですが、アバターはイケメン盾役キャラで自己申告では就活中の二十代男子学生です。桜井は現実では比較的裕福な生活をしている独身イケメンサラリーマンですが、アバターは可憐で可愛い女性魔道士で本人情報は開示していません。彼らはその方が都合が良いしその方が仲良く楽しく過ごせるから、現実との繋がりをふんわりと絶つ選択をしています。ですから、彼らにとって現実との繋がりが出来てしまうことは、ストレスとなります。アバターの自分と現実の自分は性別も違うし、自己申告している内容とも異なります。

しかし、先に書いたようにシナリオ上盛岡と桜井は本人の意思に関わらずオフラインで接触し、それが実はゲーム上で急接近した相方であると知ることになります。自分は原作を知らないのでこの先の展開は分りませんが、恐らくこの現実との繋がりに躊躇する人達がいかに折り合いをつけ、繋がりを深くしていくかという部分が話のキモになるのだろうと思っています。

分かる部分もあるけれど

原作にしろアニメにしろ状況を楽しむ日常系四コマの亜種でしょうから、このような評論をすること自体興ざめな話でしょう。

しかし、分かる部分はあるけど作り物だなという部分が大きいなあと感じました。盛岡と桜井は生活圏が被る物理的な近接をしていますし、なれそめは過去のゲームや所属する(していた)会社の人間関係で深く繋がっています。ゲーム仲間の主要メンバもその点では変わりません。要は繋がるべくして繋がるように設定されているご都合設定が盛岡と桜井のために作られています。

更に大きな非現実的で危険な表現があります。出てくる人全てが善良で優しすぎるのです。この点は話を進める上で致し方ないとは思うのですが、致命的に異常な状況です。オンラインであれ現実であれ人が介在する以上どうしても人の持つマイナスの面、ネガティブな面が人間関係の中に影響を与えてきます。ネットだから誰もが善良で安全で優しいなんてある訳ありません。勿論そういう面が最前面に出る瞬間が人の心を救うということはあるでしょう。でも、それを拡大解釈して「ネットっていいよね。現実は糞だね。」みたいな誤解を共有しかねないのは非常にマズイことだなと思いました。

座間殺人事件とネットの関係

さて、既にここで冒頭に書いた「ネット大好きで無条件に肯定したい人」にとっては怒り心頭に発す状態かもしれませんが、駄目押しになる話に繋げます。

先日より報道が続いている座間殺人事件とネットの関係です。自分は別にこの事件はネット起因の事件だとは思っていません。しかし、ここまで書いてきたオフラインならではの繋がりに必要以上の期待を持ってしまう捉え方とは深い因縁があるものと捉えています。

ネットで無関係の誰かが自分に関心を持ってくれること、優しくしてくれることというのは凄く嬉しいことだと思います。特に自己評価が低い状態にある人、心が弱くなっている人にとって、きっとそれは現実には存在しなかった救いになることの筈です。誰も顧みてくれなかった自分の弱さ、自分の訴えを親身になって聞いてくれたり、力づけるように応援して励ましてくれたり、言葉に出来なかった思いを形にしてくれたり…、それらは文字通りとても有り難いことでしょう。

でも、それはあくまで言葉です。場合によってはテンプレートのように出来上がった言葉を少しだけアレンジして伝えているだけのこともあります。相手が本当に親身になってくれているのかは文字面だけで判断など出来ません。ネットというものがただの伝達手段に過ぎないという事実を無視して、特別な繋がり信頼して依存してもよい特別な相手を紐付けてくれる何かと誤認してしまうことはとても怖いことです。

繋がる相手がどういう人かというのは運否天賦で良い方にも悪い方にも転がり得ます。現実社会であれば決して接触がない階層の人達とネットでは簡単に繋がります。普段の生活環境や身なり、行動を見て判断出来る部分も意図的に隠されたり虚偽を伝えられれば疑う余地を見出すのは簡単ではありません。

この事件の場合は自ら死にたいと言っていた人を狙って接触しています。オフラインであっても心が弱っている人を狙う悪質な人間は沢山いるでしょうけれど、SNSが発達した現在のネット環境ならその方が効率も都合も良かったのだろうなと推察します。言葉を選ばない書き方をすれば、弱った人間を誘導するのは簡単な仕事ですし、そういった人が自発的に弱さを曝け出す場所は悪質な人間からすれば入れ食いの生け簀そのものだったでしょう。

実に不幸で胸糞悪い事件でした。

現実を直視する気が無い人にネト充なんてススメちゃいけないよ

最初に書きました通り、ここでの自分の結論はネットに過大な可能性を期待するのは間違いということです。

確かに運次第ですから、運が良ければ魂を共有するような理想の相方を見つけ、今よりずっと素敵な人間関係を構築出来ることもあるでしょう。或いはそのの人間関係が縁でよりよい仕事に転職できたり、新しいビジネスチャンスをみつけたり出来るかもしれません。今まで誰も作ったことのない多くに寄与する仕組みを作ったり、コミュニティのためのプラットフォームを作ることが出来るかもしれません。現実にそういった成功を納めた人たちはいますし、それを誇らしげに語ったり褒めそやしたりする記事はこれまでにもしばしば見かけました。

ただ、それもってネットが自分、あるいは自分たちにとって常に無条件に良いものであると決めつけた言論や表現をみかけると、内心ため息を深くつきます。「分かるけれどね。そういうのは投げ遣りにも程がある。現実を直視する余力が無い人に安易にネト充なんてススメちゃいけないよ」と…。

ある程度以上ネット生活が長い人にとって当たり前すぎることしか書いていませんが、わざわざ書くと「ネット大好きで無条件に肯定したい人」が怒り狂うので皆まで書かない内容です。誰も火中の栗は拾おうとしません。でも、自分はネットはそこそこ好きでそれなりに長い付き合いですし、たまにはこういう当たり前のことを文字にしてみようと思った次第です。