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ぐだぐだわーくす

意識低い系目標を掲げて達成をもくろむBLOG

とあるコミュ障のコミュニケーション論に対する煩悶

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こんにちは!DACです。

今回は感想文です。言及と言う程ご立派な内容ではないけど、自分なりに感じたことを書き残します。

元ネタのエントリ

p-shirokuma.hatenadiary.com

概要

コミュニケーションを取るという目的において、会話の内容云々ではなくコミュニケーションを取り合う姿勢とアクションが大事である。何故なら、これらはコミュニケーションの成立に必要条件であり、会話の内容は十分条件に過ぎないからだ。

情報の流通であれば、コミュニケーションをせずとも可能だ。しかし、ことコミュニケーションを取るという観点では情報の中身は大事ではない。むしろ、「私はあなたの存在を意識していますよ」「私はあなたとコミュニケーションする意志を持っていますよ」と示し合わせることにより、相手が自分に敵意を持っていないこと・いつでもコミュニケーションする用意があることを示し合わせることが肝要となる。

この前提に立って、以降会話内容に依存にしないコミュニケーション要素の評価付け、会話内容に依存にしないコミュニケーションの醸成方法へと展開している。

感想

耳が痛い部分が多々あった。

自分の場合、コミュニケーションよりは、本やニュースメディア、SNSといった単一方向への拡散共有に特化した情報摂取に重きを置くことがこれまで多かった。これらのメディアは情報の受け取り手にとって非常に都合が良い部分が多い。基本的に再生可能で理解出来なければ何度でも時をおいて読むことが出来る。不特定多数に有用な情報を伝達せんがため使われている媒体であるため、表現も内容もそのために細心の留意がなされている。

つまり、受け取り手に取って非常に楽なのだ。直接的な問い合わせは難しいけれど、周辺の情報を纏めればその情報の真偽や精度、表現の妥当性も判断出来る。

情報収集や情報精査はコミュニケーションではない

これは当然のことだが、情報収集や情報の精査はコミュニケーションではない、別個の所作である。しかし、ここに誤認識が生じる余地がある。

コミュニケーションを通して、情報収集や情報の精査は可能だからだ。これをコミュニケーションの主機能、または主目的であると定義するとシロクマ氏のエントリで指摘される誤認識の罠に嵌ってしまう。一旦そういう誤認識を行うと、それ以外にコミュニケーションが持つ機能や目的、そもそものコミュニケーションの成立自体を破壊する可能性が高い。

はてなブログの運用におけるコミュニケーション

より卑近なブログ界隈という共通の話題に落そう。はてなブログやはてなブックマークにおけるコミュニケーションについてだ。

自分ははてなブログにおいてコミュニケーションを求めている。例えば、はてなスターという無言の印よりもコメントやはてなブックマークコメント、言及を期待している。閲覧者が何を読み取りどう感じているかを知りたい。それに対して自分の考えを伝えたり、時に論を戦わせることによって自他の発想や認知を超えた別の答えを導き出したい。

そういう欲求が強く、はてなスターを設定で無効化した*1。しかし、ことコミュニケーションを行うという観点で、はてなスターを捨て去ることが軽率であったのかも…という思いもこのエントリを読んで持つようになった。

確かに設定を変える以前に比べれば、直接コメントを頂く機会は激増した。一方で自分が認知しえぬところでコミュニケーションの芽を潰してしまっている可能性を想定に入れる必要がある。

慣れていないなら練習を

シロクマ氏のエントリの締めにもあるが、コミュニケーションが出来ていないから諦めるのではなく慣れていないなら練習を始めるのが建設的だろう。

そのような人は、職場以外でもどこでも構わないから、挨拶や世間話を実践して、「空っぽのコミュニケーション」ができる状態をキープしておいたほうが良いと思う。いざ、「空っぽのコミュニケーション」が必要になった時、慣れていないととっさに出来ないものだから。

内容の無いコミュニケーションを馬鹿にしている人は、何もわかっていない - シロクマの屑籠

年寄りの冷や水ではないが、何事もいきなりというのはすぐに無理が来る。すこしづつ歩を進めるが如く、自然に慣れていく不断の意識づけ、それに伴う実行が必要なのだろう。

終わりに

ちょうどつい先ほどこのようなつぶやきを目にした。

恐らくこれも今回のテーマに通底するところがある。「意味がある」を「オチがある」に読み替えればほぼ同じではないだろうか?*2

先程の感想にはてなブログの話を挙げたが、自分にも悩みはある。言及を行う場合、時に気楽なコミュニケーションを逸脱し相手の許容範囲を超え壊しかねないのではないか?*3*4より気楽な会話に興じた方が良いのではないか…という思いに駆られることが少なからずある。この点はシロクマ氏も同様のジレンマを抱えているのでは無いだろうか?*5

続編

以下を記述しました。実のところ、元エントリには複数の要素が含まれていて論理で追った場合混乱する部分があるため、併せて読んで下さると良いと思います。
www.gudaguda.work

*1:はてなブックマークの流入が目的にあるのではという指摘があれば、それは明確にYESだ。ただ、それが主目的化と言われるとNO。結果がついてくるなら有難いが、意思疎通の無い無言ブックマークは流入の足しにこそなれコミュニケーションの足掛かりにならないし小生にとって寂しい限りだ。

*2:個人的に若干この提示が気にくわない点もある。単純に十把一からげに男と女という二分がされているところだが、前提となる文脈を想定するに致し方ないかとも思うので深追いする気も無いが

*3:プロレスを好まない相手も多くいるだろうし、その場合適切な距離感を測らねばコミュニケーションそのものが断絶しかねない

*4:ネタも同じ。ネタをネタとしてではなく本気で取って言及されるのはむしろ本望で受けて立つが、相手を拒絶や恐慌に陥れる意図は小生には無い。表現の未熟によって結果傷つけたのであれば誠意をもって謝罪もするが、決定的なディスコミュニケーションに陥った場合何がズレを引き起こしたかの解明すら不可能になる。

*5:id:saiusaruzzz 悟性的なご意見で、蓋し自分の感情としては全面的に同感するところだ。しかし、周辺を見回した時、ゆるく淡い関係を望んでいると思しき層は存外分厚い。単純に自分の表現を研ぎ澄ますことに専念した場合、相容れないだろうことを予想する。プロレスは予定調和ではないが、一定の様式美、お約束を以て成立する。それは言及においても何ら変わらない。どこに落ち着けるべきであるかという絶対的な解は恐らく存在しないが、小生が自分なりを見つけたいと足掻いている最中と思って頂ければ有り難い。