ぐだぐだわーくす

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漫画の素晴らしい一コマを引用するのはOK?NG?

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こんにちは!DAC(id:dacs)です。

今回は結論らしい結論が出せていない話で、むしろ教えて欲しい…問いかけみたいな内容です。

お悩み案件エントリ

「OKだ!(断言)」「NGだ!(断言)」という回答を期待された方が足を運ばれたのであれば申し訳ありません。ぐだぐだ思うところを書いて諸賢のご見解を期待するという他力本願エントリなのです。

これが自分にとってはお悩み案件なのです。出来ることならOKであって欲しいけれど、腰が引けてしまって出来ません。

まず、自分が何故漫画の一コマの引用を魅力的に感じるか、次に何故腰が引けてしまっているかを書いていきます。

何故漫画の一コマの引用を魅力的に感じるか

自分がブログのエントリを書いていて、表現の物足りなさを感じることがたびたびあります。だからといって表現を重ねると文字数が嵩んで冗長になってしまうことも悩ましいです(まさにこのブログは表現力の貧困さと自分の性格のせいでぐだぐだと長くなり可読性の低下リスクに怯えています)。

また、表現として漫画は優れた特性を持っています。自分が文字で表現しきれなかった部分を補足するどころか、それ以上の伝達を担ってくれる可能性があります。以下にその特性の幾つかを列挙します。

漫画の表現力は凄いから

ご存知の通り漫画というのは絵があって効果音、効果線、台詞、キャラクタ等を組み合わせありとあらゆる表現を活用した表現手段です。

現実には困難な内容も表現しきる

現実の実写では困難な状況も作者の頭に浮かんだアイディア、想定を形として落とし込み、それを読者に伝えることが出来ます。例えば、死神が出てきて書き込むことで人が死ぬノートを渡してくる。例えば、存在しない世界の大海賊時代で能力者が仲間とともに戦いながら赴く冒険の旅。例えば、亜人が可愛い女子高生で普通の人とは少し違うながらも日常を過ごす話。

無理をすれば実写化、演劇化出来なくはないですが、表現力の自由度は漫画の持つ特性であり、その全てを実写で包含するのはほぼ不可能と言って良いでしょう。実際に存在する人間や事物を使う限りは限界があり、他の素材を組み込んだり、解釈を変えるなどのアレンジが必要となってきたりします。

制約を独自の表現性に昇華

効果音や効果線もそうです。これらは漫画という紙という静的な媒体を通して何とか伝えるための苦肉の策として生み出されたものですが、結果現実の音、状況にはありえない表現を実現するに至っています。

効果音は文字で表現され、その文字自体も大きかったり小さかったり、文字に装飾がかかっていてコミカルだったり、悲壮だったり、怒りや喜びで満ちていたりします。効果線も現実には存在しません。これがあることによってニッコリ笑っているだけではなくそれがどれだけ晴れやかな笑いか、爆笑なのか、実は含みがあったりするのかを表現できます。

たった一コマ、その一つだけで多くのことを表現仕切ってしまう凄みが漫画にはあります。制約を独自の表現性に昇華しきっています。

魂がこめられている名言、名シーンが沢山あるから

漫画は作者が伝えたい思いが各キャラクタや状況に乗せられているものです。そして、シナリオの中では色々な状況が発生し、登場キャラクタは色々な思いを抱き、語り、時に激怒し、時に号泣し、時に大笑し、時に喜びを露にします。オーバーアクション気味であったりしますが、そこには作者の意図を超えて、読者の胸を打つものがあります。

魂がこめられている名言、名シーンは漫画の専売特許ではありませんが、これを静的に紙の上のコマの上に表現してしまうところが凄いです。そして、有名どころを挙げていいくだけでも数えきれないくらいの名言、名シーンがあります。この破壊力、伝達力はすさまじいものがあります。

心に焼き付けられた感情や感銘が一コマで再現される

多くの人がその一コマを魂に響く感銘を受け、記憶に焼き付けます。その一コマはその一瞬だけで消えてなくなる訳ではありません。確かに普段からその一コマが頭の中を占有するという訳ではなく、普段は存在を忘れてしまったりもするでしょう。

しかし、ひとたびその決定的な一コマを目にした途端、心に焼き付けられた感情や感銘が一コマは自動的に再現されます。それは初見で見た時と寸分たがわず、時に思い出や懐かしさも相まって更に過剰に心を揺さぶることもあります。

何故引用に腰が引けてしまうのか?

こうやって見ていくと凄く漫画の一コマの引用は魅力的ですよね。他のブログやWebコンテンツで大量に引用しているのを見ると羨ましくなってしまいます。出来ることなら自分もやりたい!

しかし、自分位はそこで常用するまでに踏み切れない理由があります。

漫画は引用してよいものなのか?

上記してきた通り、漫画というのは作者である漫画家の人が魂を込めて描き込んだものの集大成です。だからこそその表現は胸をうつのです。ここまで詰め込むかと驚嘆するほどの要素の圧縮、詳細化も漫画家の方の血肉を練り込んだようなものです。

これを安易に切り出して良いのでしょうか?漫画家の方や漫画へのリスペクトを忘れなければ許されるのでしょうか?

素材として使うのは引用ではないのでは?

自分の考え方が堅苦しいのかもしれませんが、そこを切り出すことに罪悪感があります。例えば、先日100の質問の一つにアニメ「フランダースの犬」(アニメですが問題意識は同じです)の一シーンを引用しました。(現在削除済)。死を想起させる表現として、彼のシーンは不足なく機能すると思ったからです。しかし、これは当然ながら「フランダースの犬」のストーリーに沿ったものではありません。あくまでその一部だけを切り出し全く違う理由で勝手に便利に素材として使用しているのです。

引用には要件がある

引用という概念は非常に都合が良いのですが、構成要件があります。

  1. 公表された著作物であること
  2. 公正な慣行に合致すること
  3. 正当な範囲内であること

アニメ「フランダースの犬」のこのシーンについて感想を述べるために必要性があって使用するのであれば要件を満たすと思います。しかし、表現を強化するための挿絵として使ってしまうことには著作権法32条における引用の必然性が希薄であると思うのです。

元作品へのディスリスペクトになるのでは?

また、単に法律に違反する可能性があるというだけではなく、漫画家(アニメ関係者)の方へのディスリスペクトになってしまうのではないかとも思うのです。あれだけ感情を揺さぶらせてもらった凄い作品、身を削ってそれを作った人達の生き方を安易に踏みにじることになってしまうのではないか?たかだかブログの表現強化のための挿絵にしてしまうことはあまりに傲慢が過ぎるのではないかという恐れがあるのです。

考えすぎかもしれませんが、そこがとにかく気にかかってしまいます。漫画の引用について疑念を持つ背景となったエントリも併せて紹介します。
blog.livedoor.jp

けんすうさんの記事も引用として許諾される範囲とその外の線引きを思い悩んだ結果を書かれています。

漫画のパワーに負ける可能性が高い

もし、引用はOKだったとしても問題があります。冒頭書いた通り、漫画の力というのは凄まじいのです。逆に言えば、凄すぎるのです。

自力が足りないから他力に頼っている

添え物や挿絵として引用したは良いものの漫画のパワーに負ける可能性があります。そもそも文字で表現が足りないから漫画の一コマを使っているのです。つまり元々の表現に力量不足があるのです。それを都合よく埋めてしまい、あわよくば元の表現を超えるチート的なパワーアップを期待するのです。

確かに漫画の引用はその期待に応えるでしょう。それも必要以上にです。力量不足のものを埋め合わせるのに強力な助っ人を用意した場合、添え物ではなく主従が逆転する可能性があります。いやいや自分が伝えたいことがはっきりあってそのための助っ人だし…と本人が思っていたところで、最初から力の差は歴然としています。漫画は多くの人に読まれて、多くの人に共有され、多くの人に指示されて既にそれだけで膨大な力を持っています。

他力が膨大過ぎるのもまた問題では?

翻って自分の立ち位置を考えましょう。仮に月あたり500万以上のPVを持つ名の知れたWebコンテンツであろうとも、比較してみればたかがそれだけの存在です。勝負にすらなりはしません。あなたのWebコンテンツが人気を博し、ドラマや漫画、場合によっては映画になる可能性もあるでしょう。しかし、そのほぼ皆無と言えるような可能性を以てしても、人気のある漫画には敵わないのです。それらは本体だけで多くの人に受け入れられ、死ぬまで心に残すものを与え、多くのメディアで繰り返し展開されているのですから。

大袈裟でしょうか?そうかもしれません。ただ、どうにも腰が引けてしまうのです。

最悪引用要件が足りない場合の対処負荷が高い

やってもみないで心配するのは、石橋を叩いて渡らない度の越した反応かもしれません。

しかし、引用要件が足りていなかった場合、削除するなり、引用条件を満たすべく追加対応するなりしなければなりません。もし、対処する対象が多ければ多いほどそれは大変になります。仮にエントリ毎に4-5枚の引用を行っていたとして100記事あれば単純計算で4-500枚の対処が必要です。実際にはそれ以上だったり、それ未満ではあるでしょうがそこが本質ではありません。

その修正負荷リスクは負うに足るものかどうかを考えると、安易に手を付けられません。もしそうなったときの対処を貫徹する覚悟とそうならないように要件を精査して備えた運用が必要です。問題を指摘すれば黙殺したり、コンテンツを丸々削除して事なきを得たりという見苦しいことになったりするのは論外だからです。

本文の強化のためだけにそれを負うというのは割に合うのかどうか、悩ましいところだと思います。

漫画の素晴らしい一コマを引用するのはOK?NG?

長々と書いてきましたが、自分は決して漫画の引用を否定していません。むしろやりたくてしょうがない、よだれ垂れ流し状態です。

でも、色々踏み切れないポイントがあるのです。そんなの関係ねーーーー!と出来るほど、無視できる話ではないと思います。実際に引用している方々はそういった悩みを解消して、運用に踏み切ったのだろうと思います。出来ればそういった運用のプロセス、普段行っている準備などを教えて頂けたら嬉しいと思い、エントリにしてみました。

佐藤氏みたいな提供が増えると嬉しいのだけれど

www.tadapic.com

素晴らしいことに「ブラックジャックによろしく」を引用だけではなく、台詞の書き換えまで可能な二次利用素材として許可して公開されています。勿論使用要件がありますのでそれを守る必要があります。事後報告であまりに作品の同一性を毀損するような使用があれば使用取り消しとなる可能性もあります。

しかし、これだけのものが用意されていれば使い勝手も良いですし、自分が悩んでいた半分くらいは解消されます。(必死に主従関係を持たせる努力はしなければいけないという部分は残ります)

コメント多謝です!

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わたしが描いた絵をツイッターアイコンに使っていいかという問い合わせをいくつか貰ったことあります。引用解釈より著作権重視するなら使用許可を得るのが正しい気がしますが(-ω-;)ウーン

2017/04/22 13:10
b.hatena.ne.jp
にーちさんのイラストや漫画は好感度高いでしょうから、納得する話です。自分のコメントにも書いたのですが、引用したい人というのは恐らくなるべく手をかけずに使用をしたいのです。その大義名分として勝手に出来る引用の権利を行使すると称しているだけであって、本筋は使用許可でしょう。使用許可を求めない理由は簡単で交渉、使用料、使用要件の詳細決定プロセスといった負荷がかかるためです。酷い言い方をすれば、安易な引用は作者の権利を極小化したいしリスペクトが薄いと言えるように思います。温度差というか当事者感がそれぞれにズレがあるので難しいですよね。

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自分でまねして書けばいいんじゃないですか(笑)?

2017/04/22 14:34
b.hatena.ne.jp
真似の程度次第で模写の公開は盗作として著作権法違反となります。手元で模写を行って自分が研鑽を行うというのは建設的な意見で検討に値すると思いました。ただ、現状として引用している層に対してであればその提案は、棄却以前に却下されるのがオチと思います。

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twitterでは毎日のように無断転載が行われているのに、ブログでは少々シビアな気がします。

2017/04/22 15:17
b.hatena.ne.jp
そうですね。ブログが比較的静的な存在で、Twitterなどは流れ捨て的なイメージがあるためでしょうか?現実問題Twitterも削除しない限りは残るのですが、過去Tweetは発掘しない限りは発信した側からは勿論受け取り側も認識から早々に揮発します。つぶやきの所有権を然程自覚していないように見えます。一方ブログは個人への紐づけが強く蓄積する性質があるため、よりブログ所有者に責任を求められやすいのではないでしょうか?

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この辺はほんとグレーで僕も常にビビっているところです^_^; 出来ることならはっきりして欲しいですよね💦

2017/04/22 16:48
b.hatena.ne.jp
同人誌などは遥か昔から、模写は勿論二次利用、同一性保持権の領域で闇より黒くても生き残っています。ただその裏は血みどろの歴史があると思います。現状原理主義的に取り締まるのは割に合わないというだけで見逃しているケースが多いのでしょうね。先日のブタ山さんの件の如く、寝耳に水で刈り取られるリスクは背負うことになりそうです。逆に言えば、曖昧な方が都合が良い層もいるのかもしれません。