ぐだぐだわーくす

意識低い系目標と面白アンテナを掲げて世界征服をもくろむBLOG。我を崇めよ(*‘ω‘ *)

詰んだと思った人が前に踏み出すのに必要なたった一つの大事なこと

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こんにちは!DACです。

今回も感想文です。

元エントリ

www.iwako-light.com

概要

元エントリのタイトル通りの内容です。
まず、精神的に弱い人はどういう罠にはまって行動が縛られているかという具体例として以下の4つを挙げ説明しつつ、その内実はどういうものかという解釈をされています。

  1. ネガティブ思考:言い換えれば状況の客観視や判断能力の高さとして捉えることも出来るので好転可能
  2. 他者との比較:言い換えれば自己分析能力が高いので、自分の劣等感を刺激するのではなく冷静に長所短所を把握し改善に結びつけることで好転可能
  3. 虚栄心:自分の弱さを隠したり、わざわざ損な行動選択をしてしまう要因となりがち
  4. 完璧主義:身の丈に合わない理想を求め制御不能となり、自分を追い詰めたり、他者に押し付けたり悪い結果を生む方向に流されがち

結果として、精神的に弱い人は自縄自縛になりわざわざ自分で自分を生き難くしてしまう。

冷静に自分の状況を知り、自分の弱さと強みを冷静に直視して心の持ちようを変えて少しづつでも手を施せば、より生きやすくすることが出来るという提示で締められている。

感想

このエントリを読んで、先日自分が書いた「諦観を持ちつつも今を生きることにひたむきになること - ぐだぐだわーくす」や、その元となった「「ここで認められないと詰む」は詰む - シロクマの屑籠」に通じるものがあると思いました。

心の弱い人に限った話ではなく、人が何かに躓くとき「ここで認められないと詰む」と自分を追い詰めてその結果必然的に詰んでしまうというのはよくある話です。

id:iwakoさんのエントリにあるように自分を追い詰めてしまうことで自らを行き止まりに導くのです。そうなると本来その人が持っているポテンシャルよりも出来ることが著しく少なくなります。出来ることの幅が少なくなったからと言って、無理にそれ以上のことをやろうとすれば失敗するべくして失敗してしまうのです。

諦観を持つこと

弱さを強さを変えるとはつまり物事の見方を変えると言うことです。 落ち着いて自分のペースで物事を考えることで自分の弱さに気づけるはずです。なぜ弱いのか、どう改善していけばいいのか、考えて考えてそれが納得のいく結果にならなかったとしても、きっと心は晴れやかだと思います。 これも自分だと受け入れることができるでしょう。

精神的に弱い人は弱さを受け入れる強さをもつことが大事! - 人生の物語を楽しむブログ!ネガティブ・ライト

id:iwakoさんのエントリでは、このように表現されていて上手いなと思いました。

自分はちょうど同じ意味合いで諦観を持つことと表現しました。しかし、この表現は文字面だけで意味を取ろうとすると「諦める」即ち「負けることである」と捉えられてしまい、拒絶される懸念を強く持っていました。

諦観を持ちつつも今を生きることにひたむきになること - ぐだぐだわーくす

諦観:本質を明らかに見て取ること。(諦めて)悟りの境地にあって物事をみること。ネガティブな意味合いより宗教的にはポジティブといってよい言葉。

2017/05/07 14:50

ですので、このようにブックマークコメントでこのように掬い上げて下さる方がいて本当に嬉しかったです。

自分なりに冷静に弱みと強みを把握して、その時点の自分の身の丈を腹落ちすることが大事なのです。もし、その時点の自分がちっちゃくて弱いでも良いじゃないですか?もし、そこが最低ラインだったらそれ以下になることは無いのですから、安心してより良くなる行動選択が出来る筈なのです。

弱みを知ったうえでの強さは本当に強い

世の中は不公平なもので、生まれてこの方ずっと褒められ続けて常に承認欲求を満たされ続けている人も意外に多くいます。精神的に弱い人から見れば、自分とその人を比較して羨んだりしてしまうものです。

でも、自分の弱さと強さをしっかり把握して前向きに動けるようになった時、どちらが強いか?意外かもしれませんが、精神的に弱かった人の方なのです。何故なら、元々恵まれている人はたまたまそういった境遇にいられるだけですから、自分の弱みや強みに向き合う機会が与えられないのです。見た目凄く強そうに見えていたとしても叩き上げの中身が詰まった強さとは質が違います。

終わりに

前のエントリで書いたことを繰り返し書きます。

諦観を持つとは全てを諦めるということでも負け犬に甘んじろという話でもありません。「今手の中にあるもの、手を伸ばせば届くだろう未来を刈り取ることに注力しないと勿体ないでしょう」という話です。 躓いた何かに拘泥するのではなく、意地汚く今を生きましょう。お綺麗に虚飾にまみれて過ごす無駄な時間を与えてくれるほど与えられた生きる時間は長くないのですから…。

諦観を持ちつつも今を生きることにひたむきになること - ぐだぐだわーくす

詰んだと思った人が前に踏み出すのに必要なたった一つの大事なことは、自分の今置かれた状況の中で出来ることと出来ないことを飲み込むことです。

少し大げさに見えるかもしれませんけれど、もし詰んでしまう、或いは詰んでしまったという思いで頭が一杯になったとき、それが決して終わりではないということを思い出してください。意外とまだまだなんとかなることが多いですから…。

殆どid:iwakoさんのエントリまんまになってしまったような気もしますが、とても心に響くものを感じたので感想文として挙げさせて頂きました。