ぐだぐだわーくす

意識低い系目標と面白アンテナを掲げて世界征服をもくろむBLOG。我を崇めよ(*‘ω‘ *)

気になる本!新聞の読み方を知らない人のための本「新聞力」を読んでみた

f:id:dacs:20170717103625p:plain:w760

こんにちは、DACです。

今日は、「新聞力」という新書についての覚え書きと所感を書きます。書評などと言う立派なものではありません。概要をお伝えする力量や時間が今は無いので自分用です。

元ネタ

  • 書名:新聞力-出来る人はこう読んでいる
  • 著者:斎藤孝
  • 発刊:ちくまプリマ-新書

概要

新聞を読むことによって身につけられる効用と斎藤氏なりの新聞の読み方を提示しています。

雑感

多少違和感を持つ点はありますが、大筋同感です。自分にとって新味があったのは「縮約」です。要約や翻案的な読み方は自然としていましたが、原文をそのまま縮めて文書の意味を損なわない読み方というのは面白いと思いました。

あと、若干煽り気味なところが気になります。少し昔であれば、次のような記述は「なにくそ、馬鹿にされてたまるか?!」と奮起を促すものとなったと思います。しかし、時勢柄そういう思いに向くよりも「だから読む気が失せるんだ」と逆方向に跳ねる可能性がとても高い。それは不本意だろうなと思いました。


「あれも知らない」「これも知らない」では、人ときちんと向き合って、大事な話をすることができません。どの世界にも”情報弱者”と言われる人たちはたくさんいます。世の中で何が起きているかわからず、社会から取り残されてしまう人たちです。取り残されるとは、つまり損をするということにほかなりません。新聞はそうした”情報弱者”になることから、私たちを救い出してくれるのです。

プライドを刺激して「自分は情報弱者ではないし、そうはなるまい」と誘導したい意図は理解出来ます。しかし、そもそも「自分が情報弱者の訳はないし、新聞なんて間違いだらけじゃないか。読むだけ時間の無駄。スマートニュース読むよ」と結論づけている人には決して届かないと思うのです。一旦そういう思いに駆られた人が翻意することはとても難しい。ただでさえ自分が正しい他は間違えていると信じたい人、それしか頼る軸が無い人に届く言葉はとてもとても少ないのです。その意味で語り口が雑だなと思いました。

とはいえ、先に書いたように概ね同感ですし、狭量な小生は分からない人は分からない人なりにしておけば良いだろうとしか思わないのでそこは偉い方が憂慮して手を差し伸べるにお任せしておけばいいとも思うのでした。

覚え書き

以下は自分が気になった部分を覚え書きで引用してそれぞれに所感をつけます。読んでいない人にはちんぷんかんぷんでしょうが、別に伝達は意図していません。

情報量が少ない人は判断材料が少ない


そして今、新聞を読まない人たちが圧倒的に増えてしまい、日常生活として政治、経済の深い話が出来なくなってしまいました。

物事の判断基準も変わってしまいました。基本情報量の多い人間が判断するのと、少ない人間が判断するのとでは、判断の精度にも大きな差が生まれます。

情報量が少ない人が判断するとどうなるのかというと、そのときの気分や個人の好き嫌いで判断するしか無くなります。大切なことを、そのときの気分や好き嫌いで判断するわけです。

これは、とても同感なのです。小生とて基本情報量が潤沢であるとはとても言えません。読んでいる範囲も読んでいる量も決して多くは無い。蓄積された知識も浅薄に過ぎます。それを自覚した上でも、他の方を見ていて不思議に思うことがあります。

何故その結論や判断に至ったのか?それを書いていることがとても少ない。結論ありき、判断ありきで「こうだからこうなのだ」という言葉があまりに多すぎる。言語化出来ない、言語化するまでもない背景がその人なりにあるのかもしれないけれど、それを汲み取ってくれというのはあまりに怠慢だと思います。それはあなたにとっての常識だし、あなたにとっての必然であって、他者を説得するだけの論理的構成も証跡も無い。

せめてそれがあれば他者が検証の上判断や位置づけを出来るけれど、そういう評価付けを拒否する人が多い。当たり前だからでは答えにならない。そういう真偽を疑われること自体が、その人の根幹であるそのときの気分や好き嫌いに依存し即座に本人の人間性を評価されることになるからなのだと推察します。そうであるなら、確かに皮も削がれたむき身で外気に晒されているようなもので繊細で攻撃的な姿勢に転じやすいのも理解出来ます。

証跡が外にありそれを軸とするならば、間違えていれば別の証跡を元に論を組み直せば良い。本人の読解能力や検証力、蓄積した知識の多寡を問われることはあっても人間性とは無関係だしそういう無駄なことに気を取られる時間が勿体ないとなるように思います。小生にしてみれば、政治も経済も別に生活の一事と同列ですし、それに何の疑問も持ちません。仕事や生活に直結しているならまだしも、何故そこに普段から心身全てをかけて語らねばならない人がいるのか全く分かりません。平たく言えば「馬鹿じゃねーの」としか感じないのです。

縮約とは


要約は簡単に言えばあらすじです。あらすじを説明するためには、本文の言葉をそのまま使うのではなく、ところどころ使うところはあったにせよ、本文を書き換えて短くしてまとめます。

一方縮約とは本文の文章を絶対変えずに、内容をどんどん切っていって、文章を短くしつつ、事柄を明確にすることです。

肉が無くても骨があれば、身体の構造や形はわかりますよね。縮約というのは、肉を削って骨だけを残すような感じです。

これを読んだとき、小生はびっくりしました。新聞の記事というのは限られた枠の中で文字数の中で表現を駆使して圧縮して事物を伝えるために苦心して作ったものと理解していたからです。素人が簡単に骨と肉を解体して、順序すら変えることを許さず訳文に変えるなど本当に出来るのか疑いました。引用中にはありませんが、縮約は文章の順番の変更も許しません

ただ、これもよくよう考えると分からないでも無いと考え直しました。一段のベタ記事ならいざ知らず、ある程度段数を持つ価値付けの高い記事の多くには見出しの他にリード文があります。読めば分かりますが、見出しもリード分も基本的に本文の縮約なのです。縮約に出来ない場合は要約になっていることもありますが、恐ろしいことに多くは縮約なのです。

つまり、新聞の本文というのは縮約可能なような文書構成をしていなければ成立しないように徹底的に管理されて作られているのです。ご存じかと思いますが新聞は朝刊であれば世に出るまでに最大14の版を重ねます。早刷りであっても12版はいくでしょう。短時間にそれだけの版を作り、その中に縮約可能であるべきという制約を持たせて毎日成り立たせている。過去の膨大な蓄積があるとしても、こんな馬鹿馬鹿しくも恐ろしいことをしていると今更ながらに知り怖気すら感じました。

見抜く力についての記述は言葉が足らない


読み手は最初に見出しに注目するわけですが、記者やデスクによって強調する点がまったく違います。現象に注目する人もいれば、原因に注目する人もいる。あるいは肯定的にとらえる人もいれば、否定的にとらえるひともいる。見出しにはデスクや記者の解釈や価値観、考えが如実にあらわれます。(中略)

ですから読み手のほうも、書かれた記事の意図を見抜く努力は大切です。大人になるとは、相手の意図を理解することだと思います。新聞を通して、相手の意図を見抜く力を養ってもらいたいと思います。

伝えたいことは分かるのですが、これでは誤解を助長してしまいます。

世の中の人はマスコミは偏向して意図的に嘘を流布することがある、信用ならないものだと思い込んでいる人が一定数以上います。彼らにこの文章を読ませると「それみたことか。新聞なんて疑って読むか、あてにしないで感じたままに受け取ればいいんだ」と受け取る可能性が高いでしょう。それはきっと斎藤氏には不本意なはずです。

そもそも斎藤氏は誤解している節もあります。文中の例示がまさにそれで、記者は意図的に伝える内容をねじ曲げることがよくあるように見せています。そんなことは本来あり得ません。記者というのは入社と同時に事実の伝達をそれこそ死ぬほど叩き込まれます。それは文字通り死にかねないほどです。そして、事実と自分の所感をどう分けどう表現するかも叩き込まれます。

なるほど読み慣れていない人には表現の差異が分かりにくいですが、所感には明確な重み付けがあり「これは確信がある」「これは断言するに足りないけれどかなり信憑性がある」「どう転ぶか分からない」といった違いが明確に出る表現を常にしています。本来、そういった差異を知るのは新聞を読む上で基本中の基本ですし、斎藤氏が知らぬ分けもありません。

そこを指摘せずに、新聞に書いてあることは信用せずに真意を見抜けは決して正しい表現とは言えませんし、極めてミスリード的です。言葉が致命的に足りていません。

終わりに

色々と細かい部分で気になるところはあります。でも、「新聞を読むことに何の意味があるの?」と疑問に思うような人には目を通して欲しい本の一つではあります。出来れば松本薫氏の「新聞の正しい読み方」を併読されると良いでしょう。比較的若い方ですが、新聞記者として一連の内部事情を知った上で、新聞の読み方を伝える良書で強くお勧めします。また、おなじみの方ですが池上彰氏の「考える力がつく本」もお勧めします。

新聞も一紙では足らず最低三紙、できれば国内紙だけではなく海外の現地紙のWeb版を幾つか併読する並べ読みが大事です。それと同様に書籍も一つでは無く関連したものを読んで差異を知ることはとても大事です。個々の新聞や新聞記者が万能で無いのと同様、書籍や書籍の筆者が万能では無いのですから、そういった意味で「見抜く力」は斎藤氏自身も刺し通す言葉だと思うのです。

書籍

ネタ元書籍

新聞力: できる人はこう読んでいる (ちくまプリマー新書 263)

新聞力: できる人はこう読んでいる (ちくまプリマー新書 263)

併読推奨書籍

新聞の正しい読み方:情報のプロはこう読んでいる!

新聞の正しい読み方:情報のプロはこう読んでいる!

考える力がつく本 ―本、新聞、ネットの読み方、情報整理の「超」入門

考える力がつく本 ―本、新聞、ネットの読み方、情報整理の「超」入門