ぐだぐだわーくす

意識低い系目標と面白アンテナを掲げて世界征服をもくろむBLOG。我を崇めよ(*‘ω‘ *)

言及とは何か…だと?ただの感想文だよ、ご大層なもんじゃない

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こんにちは、DACです。

今回は自分にとっての言及って何というお話しです。

言及とは

一言で言えば、感想文です。

対象は何でもOK。狭義ではブログに対する場合に絞って使われていますね。でも、本に対する言及を「読書」感想文と言うように、ニュースに対する言及は「ニュース」感想文、身近な出来事に対する言及は「身近な出来事」感想文、ブログに対する言及は「ブログ」感想文と何にでも使えます。少々変わったところでは、プログラムにおけるFolkでしょうか。他の方の書いたプログラムコードをベースに付け足しや改変で機能を変えたりしていくものも言及の亜種と言えます。

要は何かしら物書きをするときのモチーフ(題材)を自分の外の何かに求めた時点でそれは「言及すること」であると解釈しています。ブログを書くという行為とほぼほぼ同義です。

言及なしのブログとは

では、言及なしにブログを書くというのはどういうことを指すのでしょうか?

自分の中での思いをとにかく深化させたものや創作物になりますね。例えば、人生哲学を並べてみるとか、自分で作った小説や詩や漫画、イラスト、音楽、プログラムコードとかです。オリジナリティ溢れて立派なのですけど、自分の中にそれだけの何か蓄積する情報、組み合わせ、才能が必要です。上手くすればかつて世の中に無い何かを生み出し喝采を浴びるかもしれませんし、異質すぎて容易には理解を得られないかもしれない性質もあります。

人によってはこの形式の出力の方がしやすいのですが、そういう才気なり蓄積を持たない自分にはかなり敷居が高いです。

何故、言及の話を始めたか?

【はてなブログ】思考停止した言及はやめようとおもった件 - 20代サラリーマン、英語と読書と野球な日々にて、あなたの考える言及とは何でしょうか?コピペするだけ?ちょっと字数を稼ぐだけのもの?との問いがあったのが直接の切っ掛けです。実を言えば、それだけではありません。言及に関して及び腰な姿勢をする方が周辺に多く見かけるのがとても気になっていました。良い言い方をすれば慎重なのですが、個人的には臆病なんじゃ無いかと思うくらい言及することを怖がっています。

彼らの言う「言及」

彼らの言う「言及」とは冒頭書いた狭義の「他のブログに対する感想を書くこと」を指します。更に具体化すると、このはてなブログというWebの中のちっぽけな蛸壺の中で他のはてなブログのURLやユーザIDを書くことを指しています。はてなではURLやIDを書くとその対象者に「あんたのブログ言及されたよ」と通知されます。便利っちゃ便利だし、うざってえっちゃうざってえ機能です。まあ、SEO的に言えば、「外部リンクが一個増えて良かったね」だし、人間的には「何書いてくれちゃってんの?書いたなら見てみるか」とワキワキしちゃうところだと思います。

件の問いかけをしたちょぶ (id:chobu0415)さんはその言及を受けた立場ですし、「言及こえええ」って饅頭怖いみたいに無闇に怖がっているチキンな人々*1は言及したくても出来ない人達です。

まず問いかけに自分なりに答えてみましょう。

ちょぶさんの問いに答える

あなたの考える言及とは何でしょうか?

冒頭に書きました。感想文です。

「言及」という言葉がイマイチやっている行為に比べて厳めしいのは気になりますが、文語調に書くとそう表現するしか無いのかしらね?新聞や書籍でもそれなりに見かける表現ですけどカジュアルではない堅さというか重さがありますね。自分がこのブログで書いているエントリは90%以上は何かしらの言及だと思います。面倒だから数えていませんのでテケトーです。他にやることが無くてお暇とかなかなか寝られないなら是非小生の代わりにカウントして下さい。とても助かります。

コピペするだけ?

言及でコピペなんかしたかしら。記憶に無い。

幾つかやり方があるとは思います。

例えば、引用です。言及対象の表現をそのまま使った方が読み手にも伝わりやすいなという場合は、引用要素としてQ要素やBLOCKQUOTE要素で引用することはありますね。その場合、明示的に本文を主、引用を従とする文章量、境目の明示をしています。直近ではあなたの考える言及とは何でしょうか?コピペするだけ?ちょっと字数を稼ぐだけのもの?みたいな感じですね。

これをコピペと言われればコピペなのですが、その表現の指すところはどうも意味が違うように見えます。本文と脈絡も無くペタリと張ってあるような感じですね。ですので、小生は言及としてコピペをした記憶がありません。

ちょっと字数を稼ぐだけのもの?

字数を稼ぐという観念自体自分には存在しません。むしろ可能であればより簡潔に書きたいと常日頃思っています。従って、段落単位の引用であるBLOCKQUOTE要素よりも、個々の表現単位のQ要素を使うことが多くなっています。

字数稼いで何か体裁を整えようとかSEO的にどうにか1000文字超えたいとか考えて引用するとかなら書かない方がマシです。そんな書き方は本末転倒どころか考え方が明後日方向に全力で逆走しているようにしか見えません。

より広く自由な「言及」

言及は引用という解釈は狭過ぎ、それはお作法

ちょぶさんの定義するところの言及のお作法は「引用」のお作法そのものです。

  • 前後関係をはっきりさせる
  • 参考となった情報を明確にする
  • 自分なりの解釈を加える

これらは言及する上での最低限必須の自分ルールとしたいです

ですので方法論の一つとしては全くもって同感なのです。更にこの言及を引用と見做すことを明示的に書いたのがあいまいみーさん(id:imyme_999)のブクマコメントの言及=引用だと思ってます。自分が伝えたいことが主でそれを伝えるために、この記事を紹介しますって感じで私は使用します。‪( ˘ω˘ )‬ 言及や引用をする方へのリスペクトは絶対しますね。それが最低限の礼儀ですね。

姿勢としては正しいのですが、引用とイコールと言い切られると狭苦しくて抵抗感があります。何故なら引用要素は文書構造(要はHTMLの構造)を含めて表現を改変すること無く行うものです。何かしら手を入れてしまえば、オリジナルで書いていないこと別物になってしまうので保持してこその引用です。引用という行為の趣旨は分かるのですが、解釈したなりを書く際に引用は迂遠です。小生は比較的要約は自分で腹オチした翻案を使うことが多いです。

「言及」するならまず異論ありきです

さて、実はちょぶさんは言及といっても、批判や賛同、ちょっと違う切り口の紹介であったりと、様々だと思いますと流しちゃっていますが、そこは自分の場合明確です。言及とは、言及先に存在しない異論があって初めて成り立ちます。異論ありきです。異論無き言及は言及たり得ないと言い切ります。

同感、共感の先にある異論を追求する

言及先の言葉をそのままなぞって、「仰るとおり」「参考になりました」「なるほど」では何のためにわざわざ自分が書くのか意味が分かりません。それでは、判子のようなはてブコメントと同じです。文字数が多い上に同意反復でコピーコンテンツを作るのと大差ありません。

この指摘の意味は「同意するな。共感するな。何が何でもアラを探せ!」ではありません。同意も共感も当然アリです。自分がそう感じたならそれを素直に書くべきです。ただ、そこには自分オリジナルの何か、対象の文章を読んで理解して腹オチした上で出力される何かが主でなければなりません。

これは即ち異論です。異論とは何も敵対や反抗を意味しません。自分とは違う誰かの出力に琴線が触れたなら、既にしてそれは自分の中の何かなのです。それを掬い取って自分の出力にした場合、仮にそれが最大限の賛辞であってもオリジナルの引用元の出力とは違うものとして独立して成り立つのです。

対立意見による異論はどうか

あからさまな対立意見のことは異論の正統派のように思われがちですが、これも狭いです。批判するにはやはり一旦は対象出力の内容を腹オチさせる過程が必ず必要です。

先に、論外とも言える代表的な物を二つ書きます。

まず、文章表現の一部を表面上舐めて激情に駆られて書き散らすことを異論とは言いません。それはヒステリー、感情を統御できず、激しい興奮・怒り・悲しみなどをむき出しにした状態であって、内心に止めるのが好適です。

次に、はてなブックマークコメントで度々見かけるバイアス混じりの誹謗中傷も異論とは異なります。多くは悪罵、嘲笑、揚げ足取りの類であって見苦しいだけです。目的としては対象者に悪感情を喚起し、倒錯的なマウンティング感情を満足させるものですが、傍目には馬鹿丸出しになります。

いずれも腹オチせずに脳にも達せず、本能のままに行動しているのでおよそ虫の生態に近いですが感情の迸りがある分厄介です。オススメしません。

さて、そうはいっても対立意見は出てきます。違う立ち位置で自分は「こう考える」はあって然るべきです。その場合必要なのは、何故どのように違うかです。違うからにはどこがどう違うかを明確に書く必要があります。

相手が書いてある内容を全て否定するならば、これまた何も書く意味は無いのです。何かしら共通する部分があり、その一方で異なる面がある。その異なる面に焦点を当てているから対立意見となるのです。出力するあなたにとってその思考の道筋は自然であり必然でしょうけれど、第三者の読み手は勿論のこと言及される相手にとっても「知らんがな」という類のものなのです。その道筋を辿ってギャップを埋めるよう伝えることを端折ってはいけません。

言い方を変えるなら、対立意見であればあるほど、異質であればあるほど、その内容を読み手に腹オチさせる手立てを怠けてはいけません。怠けた途端にそれはクモの糸が切れて奈落の底に落ちる陀多のように真っ逆さまです。ヒステリー地獄かはてブコメレベルの糞の山を作り上げてゲーム終了です。対立意見で意味を成そうとするならば、相応に伝えるために手を尽くす。自分が出す物を出して満足では、自慰そのものですからトイレットペーパーにでも書いて書き終わったらゴミ箱に放り込むかトイレで流すのが良いのでは無いでしょうか?*2

終わりに

同感や共感が異論と同質であるというのが今ひとつ納得できないかもしれませんね。言及する際にどれだけ自分オリジナルの要素を含んでいるか。言及先の意見に対し同化する要素の多寡の差でしかないというのが自分の認識です。

別にどちらが良い悪い、程度が高い低いという物でもありません。いずれも言及のあり方ですし書き方次第で言及元を凌駕して別物となることもよくあります。混ぜっ返すと言及なんてブログは勿論SNSでも普段の生活でも誰でもしまくっているのです。単にそれが言及であるという認識が無いというだけのことです。

独り言や自慰で無く誰かに伝える言及であれば、必然的にやらねばならないことや、やるべきではないことという縛りは出来ますが、それこそが出力の醍醐味だと小生は思います。

あんまり怖がらず、面倒くさがらず、ばんばん言及しようぜ!!(*‘ω‘ *)

*1:言いたい放題ですな。でも、チキンな人ほど心象世界はとんでもない魔窟と化しているし小生がのけぞるようなぶっ飛んだ異論だらけだし、本人が自覚してないだけでダダ漏れだよ

*2:あらやだ、下ネタに走っちゃった